悪女は美しい 上野の森美術館、怖い絵展に「キルケ―」を見に行った話
今日はちょっとバイクともダイビングとも違う話で、今、上野公園の上野の森美術館で開催中の「怖い絵展」に行ってきたってブログです。(2017・12・17まで)
行ったのは11月16日なので、これまた随分な遅筆ですが・・・
ブログ主 なまもの、記事にこそしてきませんでしたが(遅筆につき時間が無かった←言い訳)、ちょいちょい美術展に行ったりしてます。美術的な素養があるわけではないですがね(^^;
前回見に行ったのは「大エルミタージュ展」だった?!
今回の「怖い絵展」はじめはそんなに興味があったわけではなかったんですが、ある日何気にCMを見ていた時の事。
「怖い絵展か~・・・
・・・
・・・・・・
?! ?!!!
ウォーターハウスの「キルケ―」が来てる?!!!!!!!!!」
「これは何が何でも行かねば!!!」
っとなったんです。
好きな絵画のジャンルを、っと言われれば、15世紀ぐらいからのイタリア・ルネサンス期と、19世紀イギリス・ヴィクトリア王朝期のラファエル前派のなまものなのですが、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスはそのラファエル前派が活躍した19世紀イギリスの画家。
ラファエル前派展と題打って、ラファエル前派の画家だけを集めた展覧会が、日本でも過去数度開かれていて、それなりに有名な集団?! かく言う自分も、2016年のラファエル前派展で初めて目にして、いっきに引き込まれたタイプです。
さてウォーターハウス、彼自身はラファエル前派に属する画家では無いようですが、多少なり影響を受けているのがあるのか、個人的に好きな画風。
ましてや、今回の来日作品、「オデュッセウスに杯を差し出すキルケ―」は、ここ2~3年興味があるギリシャ神話を題材に描かれている作品。
「見に行くっきゃない! ってかそれだけのためにでも(自分にとっては)行く価値あり!」ってことで、行ってきました!
他にもギリシャ神話を題材にした作品もあるみたいですし!
この展覧会、ベストセラーになった(らしい)中野京子さんの「怖い絵」シリーズから派生した展覧会。美術系の本としては異例の売り上げ部数を誇っているようです。
その主眼は、その絵の背景にある事実や物語を知ると怖さが分かってくる絵画を紹介するという内容。(テキトー)
なのでパッと見はどう恐いのかが分かりにくいという作品もあるし、背景(例えば歴史や神話・旧約/新約聖書)を知って初めて理解できるという側面もあり。
決してホラーだったりスプラッター系を集めたというわけではないところがキモなのかなと思いますし、「恐い」ではなく「怖い」という表現もそこに根差しているのかなと感じます。
そんな話題の本に由来する展覧会だからなのか、今まで行った展覧会では見たことが無いような行列! 自分は平日の月曜日に行ったのですが、むちゃくちゃ冷え込んだその日であっても なんと入場100分待ち!!
でもこんなのは相当短かった方で、気になって調べてたころ、休日なんかになるとザラに200分だの300分待ちだのなんて情報が、公式サイトにupされてたり・・・
あまりに人気だったせいか、通常17時だった会場時間が、今では20時までに延長されてます(^^; とにかく人気。 他の展覧会よりも、年齢層が低いお客が多いように感じるもの特徴かもしれません。
その怖い絵展、目玉作品はなんといっても、
ドラローシュの「レディー・ジェーン・グレイの処刑」ですね。
(美術館外壁の広告から)
16世紀、イングランド王室で権力争いに巻き込まれ、たった9日間の王位で失脚させられ、7か月の後に反逆罪で斬首され、16歳でこの世を去った悲劇の女王、ジェーン・グレイ。
その約300年後に、ポール・ドラローシュによって描かれたこの作品。川の氾濫によりしばらくの間、失われたと思われていたこの作品が再発見され、ロンドン・ナショナルギャラリーに飾られて以降、大評判となり、展示スペースの前の床がすり減って薄くなったという逸話も残るほどの名作。
初来日となると、それはもう、今展覧会の一番の目玉です。
チケットにも採用されてますし、おおトリ、最後の展示室のベストポジションで展示されてました。
史実を題材にした絵とは言え、歴史では屋外だった処刑の場面を室内で表現したり、感情を表現するためかマスクの無い姿で右に立つ処刑人の顔を絵がいたりと、絵画としてあるいはその内容をより伝えるために、“ 脚色 ” はされているとのことです。
実際、見てみると、作者のそれらの意図は見事に噛み合っていて、すご臨場感とえも言えぬ感情を伴って絵が迫ってくるよう!
音声ガイドで「舞台の一場面を見ているかのよう」という表現があったように記憶してますが、まさにそんな感じ。
スポットライトのように主人公だけが照らされたような光の表現、絵の真ん中で小さく描かれた王女がとてつもない存在感を放ってました。まるで本物のようなまでに、つややかな質感までもが見事に表現された着衣の白さが効いているようです。
この手のキャンバスの大きな大作を見るとき、近づいて見てその細部のタッチや質感を見るはもちろん、人の列からいったん離脱して、位置を後ろに、絵から離れて全体を見てみると、また違った感じ方が出てくるというのは良くあること。
今回も、せっかくの機会、一度距離を取って全体を見てみました。
するとある距離まで来たとき、それが画家が意図した鑑賞位置だったのでしょうか、遠近法がピタッと決まって、それまで以上の奥行感・臨場感・緊迫感が猛烈に絵から迫って来てくる位置に遭遇しました!!
「これはスゴイ・・・」
ズシリと感じるほどの絵の力。ありきたりすぎる表現ですが、感動です。
圧倒的なまでの3D感!!
特に感じ入ったのは、これからジェーン・グレイが首を乗せ、そして斧で首を切られることになるであろう木の処刑台、それが浮かび上がるかのように、急に絵からせり出してきたように感じられたこと。
それは、処刑台の背景に当たる、ジェーン・グレイの白い衣服が対比となって浮かび上がって来たのかもしれません。
あるいは、これまた個人的な解釈ですが、絵に正対したとき、なぜか正面に向いておらず、僅かに回転した角度に置かれて描かれていた処刑台から来るからものかもしれません。
上の部分拡大で、処刑台の向かって右側面が見えている一方、左側面は隠れていて、処刑台が鑑賞者に正対していないことが分かります。
計算された遠近法で描かれたような画面の中で、処刑台だけは正対しておらず、均衡を崩しているように見える。
絵画の世界でも写真でも、あえて均衡を崩して画面に不安定感を与えて不安感・不穏な空気を鑑賞者に与えるという手法はありますが、それでしょうか・・・
今まさに処刑されようとしているジェーン・グレイ、彼女はその処刑台の位置を目隠しされたまま左手で探っている。 聖職者に導かれて伸ばされた細く白い腕、その手に浮かぶ “ 手の感情 ” は悲しみなのか諦めなのか不安なのか・・・
そんな感情を持った手が伸びる先にある処刑台、いまから首を乗せようとする木の台がわずかに回転して置かれていることで存在感が増し、より一層この絵の物語性を強めているように感じました。
さて見たかったキルケ―!!
(外壁の広告から)
ギリシャ神話に題材を求めたこの作品、一番見たかったのはコレ!
展示スペースに入ってすぐ、2つ目の作品として展示されてました!
怖い絵展の記念撮影パネルにも使われていて、今回の目玉作品のひとつなんだって、はっきりわかんだね
その「キルケ―」
ギリシャ神話の中でも、トロイア戦争にまつわる後日談、叙事詩「オデュッセイア」に出てくる魔女です。
女神テティスと人間であるぺレウス、すべての神々が招かれ祝福する結婚式に唯一招かれなかった争いの女神エリス
憤慨したエリスが祝宴の席に投げ込んだのは黄金のりんご そのリンゴにはこう書かれていた 「もっとも美しい女神へ」・・・
このりんごは誰のものなのか。特にヘラ・アテナ・アプロディーテの3美神が名乗りを上げて引きません。
黄金のりんごをめぐる女神たちの争いはやがて「パリスの審判」きっかけに、ギリシャ全土の兵が集結し、神々と人間を巻き込んだギリシア‐トロイア間の10年に渡る大戦争へと繋がっていくのでした。
ちなみにトロイア戦争、かつては神話の世界のお話と考えられていましたが、ドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンの1871年の発掘をきっかけに、ただの神話ではなく史実性の高い、つまり実際に歴史上に存在した戦争であったということが分かってきています。
トロイア戦争は、数々の争い英雄の戦いの後、コンピューターウイルス「トロイの木馬」の語源としても知られる、「トロイアの木馬」作戦によってギリシア側の勝利で幕を閉じます。
その木馬の計など数々の戦略を打ち立てギリシア側の勝利に貢献した、その人こそが今回のキルケ―に関係してくる、戦術家・オデッセウスでした。
トロイア戦争後のオデッセウスが故郷に帰るまでの10年に渡る漂流記として、紀元前9世紀ごろにホメロスによって書かれた叙事詩「オデュセイア」
オデッセウスはその漂流の中でいろんな場所に流れ着き試練を受けますが、その一つが「キルケ―の島」
キルケは薬を入れた飲み物(キュケリオン)を飲ませて人間を動物に変えてしまう魔女。
今回展示のウォーターハウス作「オデッセウスに杯を差し出すキルケ―」 絵の中で描かれた杯にはキュケリオンが入っているのでしょう。左手に持った魔法の杖でオデッセウスを豚に変えてしまおうとしている、まさにそんなシーン。 絵の中ではすでに豚に変えられてしまったオデッセウスの部下もいます。
そして当の本人、オデッセウスはキルケ―の背後の大きな円形の鏡の中の向かって右手に映り込んだ姿で描かれています。人間のままの姿として。
この絵もさっきの「レディー・ジェーン・グレイの処刑」と同様、鑑賞者の位置が決まると、よりいっそう魅力が沸き立つ絵でした!!
ヒントはやっぱり背後の鏡。
キルケはライオンの彫刻があしらわれた椅子に座り、これまたアゴを上げた勝ち気な目線でオデッセウスを見下ろしています。
そのオデッセウス、背後の鏡から察するに、その居場所は絵に正対した正面からやや右手。
その位置に鑑賞者が来たとき・・・・
キルケ―の高圧的な目線がまっすぐに自分に注がれている!!
魔女であることを忘れそうなほどの妖しい美女、触れれは肌の滑らかさまでも手に感じられそうな描写、胸が透けるほどの薄衣をまとった艶。そのポジションにきて美女のSっ気たっぷりな視線が注がれると、ゾクゾクせずにいられない!!!
端的に言ってエロイ!!
画家の技量を全身で感じさせられる瞬間です。
いや~~~スゴイ!!!
ちなみにオデッセウス、薬が効かない対策をしていたため、キュケリオンを飲んでも動物には変えられず。それを見たキルケ―、オデッセウスを気に入り部下も含めて歓迎。オデッセウスもそんなキルケ―の美しさに心奪われ恋仲に (超展開) まぁあんなにキレイなら止む無し!!(妻子持ちやけどw) 1年そのままゆっくり過ごしちゃうのでした(故郷の妻・子供はいいのかい?)
ってか、そんな「おいっ!」って展開、それだってギリシャ神話ではお約束!www オデッセウス、帰還までにもういっちょ、恋仲になる展開をみせますから!!!
さて、オデュセイアからはっもう1点、作品を。
「オデッセウスに杯を差し出すキルケ―」に続いて展示されていたのは、ハーバード・ジェイムス・ドレイパーの「オデッセウスとセイレーン」
オデュセイアのなかで、キルケ―の島のあとに起きた試練。物語の順に従った、ニクイ展示の仕方!(^^) そしてドレイパー、ラファエル前派の一員です!(^^)
その甘く優しい歌声で惑わし、あまりの美貌と歌声に我を忘れるあまり船乗りを難破させてしまうと恐れられていた「セイレーン」
もとネタのギリシャ神話では半人・半鳥だったようですが、のちには人魚として描かれることも。映画パイレーツ・オブ・カリビアンの「生命の泉」での人魚はまさに着想はここですね、ギリシャ神話。
今回の「オデッセウスとセイレーン」でもセイレーンは人魚として描かれています。ちゃんと、水中では尾びれ、船に上がった(陸上)ときの姿では尾が足になってます。
ここでもやっぱり、悪女は美しい・・・
「その歌声を一度は聞きたい」一行の主、オデッセウスはそう思うも、そのままでは歌に魅入られてしまい命を失うことになる。 そこで、自分の体をマストに括り付けさせて自由が効かないようにしてセイレーンのいる海域へ。歌声で半狂乱になり「縄をほどけ」と叫ぶも、歌声が聞こえないようにロウで耳を塞いだ船員には聞こえず。事無く切り抜けたのでした。
さて、セイレーン、勘のいい方は察しているかもしれませんが、警報などのの「サイレン」はこのギリシャ神話の怪鳥「セイレーン」を語源にしています(^^)
船乗りを死に導くセイレーンの歌声、それが聞こえたならば逃げなければならない、そんなことから、警報は「サイレン」と言うようになった、と。
こんなふうに、現代の言葉や商品名の語源になった話がたくさん出てくるのもギリシャ神話の面白いところ!
トロイア戦争(とオデュセイア)ひとつとっても、トロイの木馬、アキレス腱、サイレン、オデュッセイ(オデッセイ)、ナウシカア・・・
日々の暮らしの周辺にギリシャ神話が浸透し生きているのが面白いところです!(^^)
背景や時代を知ってると絵画・西洋美術も謎解きのように、より楽しめますしね!
ってことで、上野の森美術館での「怖い絵展」 開催期間は12月17日(日)までですが、そんな美術展を見に行ったよ!記でした (^^)
Sっ気たっぷり、妖艶なキルケ―の目に見おろされに行ってみてはいかがでしょうか www